Mixi の話とかもあった。意見を交換してお互いの考えを確認するのはとても有意義だと思う。
とくに、僕らはわりと正直にお互いの意見を言い合うほうだと思うから、(話す前はちょっと疲れるかもしれないけれど)後でスッキリする。
そのなかで、趣味についての話が出た。元は、ayame が趣味が無いという独白話で、派生して僕の趣味はなんだ?ということになった。
Mixi でも明言していたこともあるけれど(趣味欄を見ると色々掲載しているなぁ…)僕の現在の趣味は単純に「画質」で片付けてしまっても支障がなさそうである。
某ツーちゃんねる掲示板の貼り付けで この方の Web サイトを見ることになった。元はデジカメの話関連であったが、そのオーディオ造詣の深さに嘆息した。
とくにこれである。(下記、http://wwww.calvadoshof.com/NewAudio/audiohistory.html より引用)
・ 音に対する感性に心の状態との相対関係がある
・ 音には正しい/正しくないはある
・ 音の基準は、正しい音に基づいて聞きたい音にすることから生まれる
・ 音は人の中にリファレンスがあり、人の外にはない
・ 音楽は聴くことに慣れないとないと楽しめない場合が多い
これは、画質にもまったく当てはまることだと考えている。
・ 画質に対する感性に心の状態との相対関係がある
・ 画質には正しい/正しくないはある
・ 画質の基準は、正しい画質に基づいて観たい画質にすることから生まれる
・ 画質は人の中にリファレンスがあり、人の外にはない
・ 画質は観ることに慣れないとないと楽しめない場合が多い
うーむ、すばらしい。
これが正しいかどうかは、オーディオもビジュアルも前まではまるで無関心だった ayame を見ていると良くわかる。
つきあうまえは そんなことは眼中にもなかった彼女だ。
へー ・・・ で? という感じ。
なんやよくわからん・といったところだ。
もちろん、今も基本はあまり変わらない。
でも、結婚して落ち着いて余裕がでて、身の回りの環境で画質や音質に触れる余裕と機会がでてきた。
特に昨年からは KLV-L32HVX (LCD-WEGA 最終ハイエンドモデル) を格安で導入したこともあって、前と比べてどんどん目や耳が肥えてきている。
彼女は、はっきりと一般液晶に対するプラズマの優位性を(スペックはおそらく一切理解してない)”画質”の一点で感覚的に認識したことを教えてくれた。
最近は、高級オーディオ店にいくと楽しそうだし、輸入ピアノ屋にいっても目を輝かせている。
そう、実際は幼少にピアノをやっていたり、美術にも優れた才能をもっていることもあり、本人の中に画質・音質のレファレンスはあったのだ。それが、心の余裕と環境の変化で開花したのだろう。(といっても、まだ画質そのものを楽しむほどには変わっていない。)
そんなわけで、今度は私に置き換えて、それぞれの具体事象を見ていこう。
・ 画質に対する感性に心の状態との相対関係がある
→ ある程度心にゆとりがないとゆとりを持った鑑賞はできないように思う。ゆとりがありまくると許容範囲が広がったり視点が広がったりうするように思う。
余裕がないと重箱のスミ好きになりそうだ。
・ 画質には正しい/正しくないはある
→ この点は、はっきりしたい。
ダイナミックは間違いで、カスタムでナチュラルをいじったものが正しい。
ASV は間違っていて IPS はマシだが、有機ELは大正解だ。
ベイヤーは気持ち悪くて Foveon はマシだが、マルチショットが正解だ。
・ 画質の基準は、正しい画質に基づいて観たい画質にすることから生まれる
→ 見たままの風景+ほんのちょっとだけ印象のいいものがみたい。
見たままの風景が再現されないのならアウト。
・ 画質は人の中にリファレンスがあり、人の外にはない
→ 視力1.0 と(自慢できるレベルには無いが)多少の絵心と絵画・風景鑑賞経験もってカバーする。
・ 画質は観ることに慣れないとないと楽しめない場合が多い
→ 常日頃より、鑑賞しつづけている。
というわけだ。
とりあえず今日はこのあたりで。