2007年11月17日

OS は Windows を選ぶ私。一方カメラは Foveon の何故?!

いきなり結論だが、 OS とはプラットフォームなので一番汎用性の高い Windows 、デジタル一眼レフはアウトプットに当たるので、そのなかで一番尖がっている SIGMA SD を選択しているのだ・といえる。


OS 選択だが、
OS の上でいかに多種なアプリケーション、その下にいかに多種なハードウェアをあつかうことができるか、あるいは多種でなくても非常に重要な アプリケーション、ハードウェアをドライブできるという要件が非常に大事なものだと考えている。
どんなにエレガントな表現力があろうと、どんなにエレガントな設計であろうと、この プラットフォームとしての機能が一番働いているものは(私にとっては)Windows であると思う。ハードウェア、ソフトウェアの選択肢がとんでもなく広く、とても深い。


一方、デジタル一眼レフはその OS の外部ハードウェアとして連携する事があることは確かだが、Windows なのでハードウェアの選択肢については間違いなく最大限確保されている。
どれでも Windows なら連携可能だ。
その状況ならば一番特殊なものを選んでも問題が無いのである。
Windows ならばこそ SIGMA SD を選べたともいえる。(もちろん、プロ/アマの Mac ユーザも少なくないと聞くが、RAW 現像ソフトである SPP3.0 は 11月現在 Windows にしか提供されていない。)


VGP-BMS30 などの超傑作マウス、PowerMate のような Mac ライクガジェット、PlayStation 2 コントローラー、iPod が全て正当にラクラク扱えるのも Win 機だからだ。

まさしく OS は裏方。
これら超個性的な面々を扱えてこそ面目躍如といえる。


まさしくほかのデジタルカメラとは根本的に一線を画す SIGMA SD シリーズ。その要因は撮像素子 Foveon とその採用に伴う ローパスフィルタの排除にある。
Foveon は、まさにデジタルらしい写真を吐き出す。
モスキート・ラーメンノイズやら、ダルダルエッジのぼんやり画像に代表される、「デジカメらしい写真」のことではない。
CG のごとき緻密さでドットあたりの絵を提供する。
このデータの緻密さをみれば、Windows の雑多振りなどどうでも良くなってしまうというものだ・と僕は思ってますけどね。
posted by masayui at 01:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | ・日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

思ったよりネット環境が使えること。

今日はダラダラ行きます!


ニコニコ動画における高画質動画の高速かつ容易な(しかしよくエラーもするが)アクセス振りを見ると、動画アップ、再生というある意味非常に重い操作に関して すでに Web だけで大分リッチなことが可能になってきている。


昔からメールは Web メール一筋(プライベートでは)の masayu-i。

ブログなどで(数量などとっても限定的だが)写真も数百枚単位で保存済みである。

もはや遠隔ミーティングも Web アプリケーションを使ったテレビ電話(同時32人表示)なども実施しており、そもそも、ASP サービスの会社勤務の私としてはネット環境が使える、リライアブルである だなんてある意味常識でもあることだ。

ここまでくると、Web で何でもできるのではないかという 御伽噺みたいな話も、案外うそではなさそう・みたいに思えるかも?!みたいな。


でも、「こういう意見」も良くわかる・というか、僕は実際にはパーソナルコンピュータそのものにインテリジェンスが必要だと感じている。

シンクライアントの構想自体はある分野ではまったく合理的であるし、そこまで厳密でなくても殆どのアプリケーションがWebで済ませられるというのはある程度合理的な面が否定できない。
メンテナンス、アップデートなど、Webのあちら側で勝手に実施してくれる(今のWebメールなどはまさしくそれだ。)という算段。購入しなくても揃えられるという便利さ。そして、みなが使っていくことで最適化されていくという新しい類の希望。
こちらはユーザとしてだた使っているだけでOK。
桃源郷のような、トテモいい話にしか聞こえないだろうし、そういう面も少なからず存在し、それを肯定することはいいことだとも思う。

ただし、そのアプリケーションの仕様などの変更はすべて先方任せ。
ある日突然使えなくなったとしても泣く以外に無い。
データの保持なども先方任せで、もしデータが無くなってもどうしようもない。


元麻布氏のいう「PCの本質は計算機資源の管理にある」というのは私の感覚とまったく同じである。
そして、「プラットフォームとしてオープンであるためには、そこに自由がなければならない」という点において、Windows はそのソフトウェアの多様性、フリーアプリケーションの多さ、商業サードパーティの多さ、外部ハードウェアの多様性、全てにおいて圧倒的に優れているのだ。
なんか Window が優れているとかくと非常に気持ち悪いというか恥ずかしいというか、アホみたいに感じることだ。が、実際に Windows 95 からのアプリケーションが(一部動作しないものも出てきてはいるが)WINDOWS XP、あるいは VISTA でも動作することを考えると Mac とは大違いだと感じる。
Word 97、Excel97 アカデミックパック。Padie、SuperPi。
僕が大学生の入学時に購入したもの、入手したもの。Windows VISTA になっても動く。まぁ Word や Excel なら当たり前というお方もいるかもしれんが、Mac はダメヨそこんとこ。PPCからインテルマックになったわけだし、モトローラとかいろいろあったわけだからさ。毎回そのたびにアプリケーションが使えなくなったわけで。


UNIX Linux で OS 構造自体やアーキテクチャなどの話になるとより優秀だという話が出てくるかもしれない。
ただ、開発者としてではなく、ユーザとしてPCを使うという条件で、外部ハードウェアとそのドライバの対応を考えていただければどちらが使いやすいかは自ずと決まるものだ。そして、使用者は開発者よりユーザのほうが圧倒的に多いものである。


互換性などにおいて決して高くは無く、ウェブにはアクセスできて、殆ど表示、一部入力のパワーがある機器となると、私は携帯と CLIE を持っている。
シンクライアントとしての CLIE はなかなか優秀だ。Targus キーボードと連携させれば、巨大液晶画面と outlook 連携、ウェブブラウザでの操作で多くのことができるだろうし、handStory で数々のWebがオフラインで快適に閲覧可能だ。


これらの最大の欠点は、フル装備のウィンドウズでないことだ。
ウェブブラウザもIEではない。従って表示されるサイトに一部互換性が無い。(まぁIEが悪い面も多いが。)
外部機器用ドライバも殆ど提供されない。
アプリケーションについて Windows 用の数々の便利なフリーアプリは使えないのだ。


有償・無償ふくめて、アプリケーションの数、内容ともに優れているのは Windows である。自分もこれらをたっぷり溜め込んでいる。
この資産を活用するには、またまた Windows というスパイラルになってしまうのである。
だから、メールとインターネットしかする予定が無い・という方には Mac はどう?とすすめてみることがある。
だって、ハードウェアも素敵だし、それ専用なら安め、OSデザインもクールでしょ?(masayu-i はあまり Mac OS は好きになれませんでしたが Vista も好きじゃないです。)
200 ドルPC、100ドルPCなら Linux が積まれている。これも、メール、インターネット、簡単な写真加工(gimp)なら、Linux 独自の予備知識がなくても十分活用可能だと思う…けど、僕はそれだけじゃちょっと足らないかな。


オンライン環境とクライアント環境。
微妙なところですね。
posted by masayui at 00:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | ・日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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